这是日本“读卖新闻”3月开始连载4周的文章,每周四一篇,此人共4篇,同为ALS患者,从发病到就医到来中国接受治疗再到韩国接受治疗,请不要去评判两国医疗制度对ALS的认知和扶助程度,此刻我们都是一样的,一个ALS患者,一个等待求助的人,一个对生活渴求的生命。版权没有,翻版请联系日本“读卖新闻”
「幹細胞投与に望み」ALS患者の思い
「現時点で有効な薬や治療法はなく、毎日、症状が悪化していきます。新しい治療法が確立されるのを待っている時間的余裕はないのです。幹細胞投与に望みをかけてはいけないのでしょうか」
ALSと診断された男性Cさん
幹細胞投与を受けた関西地方の男性Cさん(64)は、こう本音を吐露する。彼が患う病気は、神経難病の「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」だ。
ALSは、手や足、のど、舌、呼吸に必要な筋肉が次第にやせ衰える原因不明の進行性の病気だ。筋肉に問題があるわけではなく、筋肉を動かす神経が障害を受けることで発病する。
病気が進行すると、▽歩けなくなる▽のどの筋肉の力が入らず、声が出しにくくなる▽水や食べ物をのみこめなくなる▽呼吸ができなくなる▽目が動か せなくなる。目の動きで意思を伝える装置があるが、それが使えず、周囲に自分の思いを伝えられなくなる・・・などの症状が現れる。
その一方で、体の感覚、知能、視力や聴力、内臓機能などは保たれるのが普通だ。つまり、進行していく自分の病状をつぶさに理解できてしまう、過酷な病気だ。
1年間に新たにこの病気にかかる人は人口10万人当たり約1人で、国内の患者数は約8500人とされる。治療費が公費補助される特定疾患に指定されている。
Cさんが異常を感じたのは2010年春のこと。料理を作っている妻を手伝って、大きな皿を両手で持とうとしたら、右腕が上がりにくかった。自宅近くの整形外科に行くと、「右肩関節周囲炎」、いわゆる「50肩」「60肩」と言われ、肩に赤外線をあてる治療などを受けた。しかし、症状は改善しない。
Cさんは長年の夢があった。勤務する会社を早期退職して日本以外の暖かい国で第二の人生を始めることだ。2010年9月、右肩の違和感をおして、マレーシアの首都・クアラルンプールに住み始めた。
しかし、現地で右腕の状態は悪化していく。力を入れたら、なんとか、上がっていた右腕が動きにくくなり、右手でゴルフバッグからドライバーを取り出せなくなった。左手で取り出し、ほとんど左手だけでスイングした。全身を見ることができる鏡の前に立つと、明らかに右肩周辺の筋肉が落ちていた。ジムで 筋トレをしたが、一向に改善しなかった。
2011年正月。既に独立している子供たちが皆、久しぶりに集まることになったので、帰国することにした。せっかくなので、医療機関に行って、右腕の違和感の原因を突き止めようと思った。実は、心の中で、もやもやした思いがあった。
「自分の病気はALSではないか」。
Cさんが勤務していた会社の部下で、この病気になり、会社を辞めた男性がいた。彼を受け入れてくれた医療機関が、彼の闘病などをインターネットで紹介していた。寝たきりになり、呼吸ができなくなり、目が動かなくなって、発病後わずか4年足らずで亡くなった。
Cさん自身も本やインターネットで、この病気について調べた。「五感がしっかりしているのに、病気がどんどん進行する。えげつない病気や。この病気だけはなりたくない」と思った。
しかし、何か、嫌な予感がした。かかりつけ医の紹介などで、いくつかの医療機関を受診した。「ALSではないでしょうか」と医師に聞くと、「違う」と言われて、ほっとした。
2011年2月、ALSに詳しいという医師のもとを訪ねた。Cさんは上半身裸になり、医師の前に立った。筋肉や神経の状態を見る「筋電図」の結果も見ながら医師は「99%間違いない。ALSです」と言った。
あまりのショックに、どうやって家に帰ったか、覚えていない。大学病院の神経内科であらためて検査をしてもらったが、やはり、間違いなかった。
「ALSは治療法がないんですよね」と尋ねると、大学病院の医師はこう答えた。
「本当に残念ですが、ALSは、現代の医学では治せない。対処療法だけです。食事ができなくなったら『胃ろう』をつけ、呼吸ができなくなったら『気切(気管切開)』をして、人工呼吸器をつける。個人差はありますが、診断から3、4年で息ができなくなります」
この病気だけにはなりたくないと思った病気になってしまった。
※ 胃ろう:腹部に穴を開けて管を通して胃に栄養剤を直接入れる方法。
※ 気管切開:のどに穴を開けること。そこに管を入れ、息ができるようにする。
读卖新闻2012.3.15 寄希望于“肝细胞移值””的ALS患者 “目前仍无有效药物和治疗方法,每日病情都在不断恶化。已经没有时间去等待有效治疗方法了,是否可以对肝细胞移植有所期待?”http://file:///C:/DOCUME%7E1/ADMINI%7E1/LOCALS%7E1/Temp/R7TU%5B%7DVOOFGQQ%7E0%29MY3IQJI.gif被诊断为ALS的日本男性C先生 接受了肝细胞移值的关西地方男性C先生如是说。他得的,是神经系统难症“肌萎缩性侧索硬化症(ALS)” ALS是手、足、喉、舌或呼吸所需肌肉逐渐萎缩原因不明的进行性病症。肌肉本身并无问题,但控制肌肉的神经产生障碍无法控制肌肉而发病。 随病症进行,渐渐无法行走,喉部肌肉无力无法出声,无法吞咽,无法呼吸,眼睛无法移动。虽有靠目光移动表达自己意愿的装置可用,但眼睛无法移动后再也无法对人表达自己的想…………如上的各种症状都是ALS。 与此同时,身体的感觉、脑力、视力和听力、内脏功能基本如常人一样,这是一种对自己病情进行程度时刻明明白白的残酷的病症。 每年大概10万人中有1人发病,日本国内患者为约8500人左右。治疗费用作为特殊病症被认定为公费治疗。 C先生感觉到异常的开始是2010年春。当时帮助做饭的夫人,双手拿碟子却在右手腕举起时感觉费力。去附近的整形外科问诊后,当作“右肩部肩周炎”治疗,就是所谓的“50肩”“60肩”,接受了红外线照射治疗,但是之后发现并无效果。 C先生一直有一个梦想。早点从会社退休到一个温暖的国家开始自己的第二人生。2010年9月虽仍感觉右肩部不适,仍迁居到马来西亚首都吉隆坡居住。 但是,在大马的日子里,右腕状况仍持续恶化。即使再怎么用力,右手腕也很难控制,从高尔夫球袋取出球杆都做不到。只能用左手取出,基本也只能用左手挥杆。站在全身镜前观察,明显发现右肩肌肉减少。进行了一些健身运动,并无效果。 2011年正月。因为已经独立分处各地的子女们有时间团聚一起,为全家团圆所以决定返日。趁此机会,也想去医院把自己右手腕的问题解决,但是心里已经开始有点不安: “不会是……ALS吧……” C先生工作过的公司里,有一位部下就是因为患了ALS而从公司辞职的。当时所住的医院把部下与疾病奋斗的事迹通过网络公布于众。最终卧床不起,无法自己呼吸,眼睛都无法移动,发病仅不足4年去世。 C先生自己也从网络查阅了一些关于ALS的介绍。“五感俱全,症状仍每日加剧。令人恶心的疾病啊,只要不是得了这种病什么病都好” 可是,总有些不好的预感。经熟识的医生介绍,到几处医疗机构受诊。问医生“是不是ALS?”医生回答“不是”,于是,提着的心放下了。 2011年2月,到了一位熟知ALS病症的医师那里受诊,看了神经和肌肉的“肌电图”之后,看着赤裸上身的C先生,医师的结论是:“99%不会错,就是ALS”。 倍受打击的自己,也不知当天是怎么回到家的。在大学医院的神经内科再做一次检查,仍然是,同样的诊断结果。 “ALS没有办法治吧?”,面对询问,医师如是回答: “很抱歉,对于ALS,现代医学还无法根治。只有相对疗法。无法进食开“胃篓”,无法呼吸就“切管”加装人工呼吸器。” 胃篓:腹部开孔直接接管入胃部,直接输入营养剂;切管:切开喉部,插管以便输入空气。